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女川町(宮城県)の風景② [旅]

女川町で決して忘れてはならないのは、
東日本大震災の甚大な被害です。
女川でも震災遺構として、旧女川交番が残されています。
鉄筋コンクリート2階建の頑強な作りも、
津波の引き波で横倒しになってしまったのでした。

旧女川交番(震災遺構).jpg

すっかり緑に覆われたその姿は、11年という時の流れを感じさせます。

旧女川交番(震災遺構)②.jpg

女川は狭い湾になっているために、
津波の勢いが二倍にも三倍にもなって襲ってきます。
当初10メートルと予測されていた津波の高さは、
実際には約18メートルと言われています。
 
普段は本当に穏やかな海なんですけど…ね。

女川湾②.jpg

女川を訪れた一番の目的は、東日本大震災の慰霊碑を訪れることでした。
女川には、町役場によって建立された東日本大震災の慰霊碑があります。
震災から7年後の2018年に完成しました。
了承を得られた854人の名前が記載されており、
役場の敷地内の高台の海を一望できる位置に建立されています。

女川町東日本大震災慰霊碑.jpg

碑文には、町長の言葉として以下の文言が綴られています。

あの日、自然の猛威に奪われてしまった数多の尊い命。
その御霊を慰めるとともに、確かにこの地で私達と
同じ時を生きていたことを刻み、郷土の行く末を
永久に見守っていただくことを願い、ここに慰霊碑を
建立する。


そして、七十七銀行で犠牲となった行員の慰霊碑もあります。
これは行員の四遺族が自費で2015年に建立した慰霊碑です。
仕事中に犠牲となったということで、
一目で行員と分かるように男女二人の姿が印象的な慰霊碑です。

  七十七銀行行員の慰霊碑(ブログ用).jpg

碑文には、ご家族の言葉が痛いほど伝わってくるような
以下のような文言が記されています。

命を守るには高台へ行かねばならぬ
2011年3月11日七十七銀行女川支店行員13人は
2階建て支店屋上に逃げました。
約三〇分後津波は屋上まで到達し12人が犠牲になり
8人が行方不明のままです。
走れば一分で行けた高台堀切山があったのに
なぜ目の前の高台ではなく
屋上への避難指示が出されたのでしょうか
津波避難は高台へ行くことが大原則
銀行には一言「山へ逃げろ」と言ってほしかった
どんなに怖かっただろう
どんなに悔しかっただろう
どんなに悲しかっただろう
どんなに無念だっただろう
東日本大震災を教訓に職場の命を守れ


さらには、七十七銀行が設立した慰霊碑「誓いの碑」もあります。
七十七銀行の新店舗の横の木々に囲まれた場所に、
2018年に建立されています。
 
  七十七銀行の慰霊碑(全景).jpg

碑文は以下の通りです。

御霊の安らかなることを願い
あなたのこと、あの日のことを忘れない
悲しいことが繰り返されないために


東日本大震災は、
決して癒えない傷跡を町にも、そして私達の心にも残しました。
あれから11年経った今だからこそ、
「忘れない努力」が私達自身に問われているような気がしています。

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